<あばれサーカス>

第68話あばれサーカスマルヒ作戦を見かえす。山根優一郎さんという方が脚本を書かれているが、とても温かく人を見ているようで、この他に何本かあるが、心に残る話が多い。

この話では、見方によっては長太郎は乱暴者で意地張り、頑固者という面もあるが、約束を必ず果たすという素晴らしい面を救い上げるかのように描いている。

それは、人間を多面的に重層的に見てほしいというメッセージなのかもしれない。乱暴者、劣等生と切り捨てるのではなく、そういう子の中にあるかくされた、素晴らしい個性的な考え方、行動を長太郎に託し、育んでくれているよう。

そして一つの性格が裏目にでて、失敗したり、欠点となってしまうことも合わせ描く。

失敗しつつも、長太郎の約束を果たすという良い面を輝かせるように描いている。

長太郎は等身大であったと見ていた方が言う。性格が裏目にでて欠点に見られたり、失敗することも皆、経験することであり、きちきちにかっこよく描かないところも、共感できたポイントなのだろう。

そんな皆の鏡のようでもある長太郎の良さが、実を結んだ時、やはり良かったなと思う。

実を結んだとは、みゆきちゃんに分かってもらえたこと。みゆきちゃんは長太郎のサーカスを身じろぎせず、見いっていた。その純真な眼差しの中で、長太郎の約束をはたす真摯さに打たれた。この回も含め、みゆきちゃんとの関係は対等な関係でないように思える。ずばっと冷徹に諭したり、公平に判断できて、長太郎の成長を促す人物であるようにも思える。実際、この頃の女子が男子より成長しているところがでていて、リアルに感じる。

<ゆったりと>

一年で唯一の連休を、心身を解放するかのように、のんびり、過ごす。

気のまま、携えてきた、少しのアイテムと戯れながら年またぎ。

森茉莉の装飾過多の文章、スティリーダンのグルーヴ、木暮実千代の色香あるセリフ回しを何とはなしに…。

何回か来ているが、ここは群馬県前橋市、昨夜は桐生市でひとり気儘に。

ここは、設定では男!あばれはっちゃくの長太郎の故郷赤城山のお膝元。

町には赤城山、忠治などの文字が目について…。

今朝は、渡良瀬川から望む赤城山を拝むことができた。

赤城山は裾が広く、町まちをゆったり見守っているといった印象。懐の深そうな山だ。←どんな山だ?

ここの麓で栗又厚さんのはっちゃくが育ったのだと感慨に浸る。

大きな日本リスを捕まえたり、薬草を学んだり、あるもので手作りの遊び道具を拵えたり、じいちゃんと武道にいそしんだりして…。

栗又さんの長太郎はどっしりして山とか大地のイメージにぴったりだ。

番組のイメージを決定付けた、父ちゃんのどつきシーン。いつも地面や壁に投げ飛ばされる長太郎と気迫ある父ちゃんの土臭いような人間くさいシーンを今年初めに…万一このページを見た人が懐かしく番組を思い出して頂けたら、嬉しい。


<お陰>

長太郎の家に住み込みで理容師見習い(インターン)のいとこのかよちゃんがいかにも近しい間柄であるような長太郎のよき理解者。好きな第9話では、長太郎のありすぎる行動力が時には独善的であり人を傷つけてしまい相手が立ち直れなくなるという危険を戒めてくれている。長太郎だけでなく、一見自業自得に見える邦彦へも共感し、長太郎に大目に見ること、寛容さ、相手の立場になることをさりげなく教えてくれている。

かよちゃんのかわいらしく柔らかく温かい接し方のお陰で救われるところがある。長太郎をかばってくれるだけでなく、長太郎を思っているからこそ、軌道修正してくれ、長太郎の良さを発揮させてくれる。第9話が好きなのは長太郎のスカッと気持ちの良い解決を引き出してくれたかよちゃんによるものも大きい。

人の見方は色々で、長太郎もただの暴れんぼう、傍若無人という見方もあるだろうが、かよちゃんや寺山先生の視点は長所短所織り混ぜて見ていて、体当たりでぶつかっていくはっちゃく精神をよき方向へ導いてくれる尊い存在。

あばれはっちゃくの脇役たちは本当にそれぞれのキャラクターが溢れるように演じてくださっており、長太郎に対していろんな角度から接して、良さを輝かせて、成長させてくれている。

藤江リカさん>


長太郎の家の隣り合わせ、大島みゆきちゃんの母、大島れい子を演じてくださった藤江リカさん。

男!あばれはっちゃくのレギュラー陣は、こんな人いるよな、いたらいいな、というリアリティーがあるが、彼女の役回りは、いたら困るな、こんな人…。。であったり、うわ、きっついオバサンやの…。である。

世間体を重んじうわさ好き見栄っ張り…と嫌味さを絵に書いたような人物で、長太郎を嫌っていて、何かにつけて怒鳴り込んでくるみゆきちゃんの母。

男!あばれはっちゃくでは、長太郎が閃かせた常識はずれの行動に腹を立てた相手が家に怒鳴り込んでくる→家族がひたすら平謝り→長太郎が父ちゃんにどつかれ、(父ちゃん情けなくて涙でてくらい)…というセリフが飛び出すのが皆が大好きだった展開。

きっと視聴者が幼い子供も多かったから、わかりやすく演じてくださったのだな、と藤江リカさんの演技を見ていて思う。

そういった嫌な人格を煮詰めつつも、極端で過剰な演技の為か、滑稽さを感じさせ、全体としては、そんなに悪い人の印象を残さないとこが妙味である。

藤江リカさんはコケティッシュな美人だが、近所の嫌な五月蝿いおばさん的な過剰な演技と、生まれる滑稽さが、やっぱり見ていてお上手だな、名優なのだなと思った次第。

<母ちゃん>

言わずと知れた男!あばれはっちゃく母ちゃん、桜間和子役、久里千春さん。このシリーズのみならず全ての長太郎の母ちゃんを演じてくださった。

最初の設定資料では、かかあ天下的な父ちゃんを尻に敷くタイプだったそうだが、皆が懐かしく思うような母のイメージに近く、父ちゃんの威の陰でいつも支えてくれるような献身的なイメージ。

父ちゃんが母ちゃんは桜間家の太陽、と言っていたように、明るくて、家族が安心できるような慈愛に満ちた存在。


第8話で長太郎が友達が出来ないことを心配し、邦彦の誕生パーティーに招かれた時、身仕度の世話を焼いてくれた。長太郎のいつもと違ったよそいきスタイルを見ると、母ちゃんの気遣い、女性の細やかな気遣いが感じられ、ああ、母ってこうなんだよな…と感じる。長太郎が家庭教師を頼まれた時のシャツやハイソックスを見たときも、母ちゃんが世話やいてくれたんだな…と微笑ましく思った。

太陽のような母ちゃんの優しさは、仕事と家庭を両立する強さが芯にある、優しさ。理容の仕事をしながら庶民的な普通の生活を切り盛りしていくことは苦労の連続なのだ。

そんな中でも仕事が定休の時さえも、お年寄りの世話に出向き社会貢献したり、ママさんバレーに熱中したりバイタリティー豊かに描かれている。


長太郎が帰宅してランドセルを投げ込んでいた場所は正に母ちゃんの仕事場。

間近で自営で母が働く姿を見ているという事はこのシリーズ以降だが、今日明日の糧を稼ぐ場と暮らす場が一緒になっているということ。

二代目長太郎の創意工夫や、商売気質なところは、そんな母ちゃんを毎日間近で見ていたというのが大きいのかもしれない。

久里さん演じた母ちゃんは皆、視聴者は掛け値なしに好きな登場人物だっただろう。私も、母ちゃんの回を見ながら、久里さんの母ちゃんは勿論、やはり働いて家事もこなした母の姿を重ねて、母の存在に敬意と懐かしさを感じてしまった。

<男!と冠されて>

栗又厚さんの主演なさったあばれはっちゃくは男!〜と冠された。俺はあばれはっちゃくの続編として、続・俺はあばれはっちゃくでもなく、俺はあばれはっちゃく2でもなかった。栗又さんのイメージが先にあって男!と冠したのか、次は男らしいはっちゃくを追求しようと製作者がお考えになったのか分からない。頭に冠された題名がキャラクターというかテーマを表している。あばれはっちゃくという少年のイメージは強烈に吉田友紀さんによって定着したから、冠された題が今度の長太郎の味を表している。栗又さんの長太郎は男らしさで勝負することとなった。

描かれている男らしさ。潔さ。正義にかなった行動。忍耐。無骨さ。約束を果たすこと。意地。困っている人の助けになり、勇気づけること。それは男っぽさだけではなく、男女の垣根を越えた所の、人間としての魅力が長太郎にはある。やっぱり、なかなかそうはできない、なれないという、憧れが永遠にあるのだと思う。



栗又さんの長太郎は男!と冠されたからか、なかなか泣くことはない。泣いたのは第34話で親友、洋一と別れのプレゼントを渡すシーンと最終回で寺山先生と別れる時に感極まって泣くときだ。

この洋一と別れるシーンは長太郎が越して初めて心の交流ができた友達をまた、相手の引っ越しによって離れてしまうという、引っ越す気持ちが分かるからこその寂しさが込み上げて、笑顔で送り出したいんだけども、耐えかねて出てきた涙だった。滅多に泣かない長太郎なのですごくいじらしくもあり、人間味があり良かった。どんな逆境にも立ち向かう強い長太郎ももちろんカッコいいが、こういう涙を見せれる長太郎もカッコいい。

そういえば、三代目の最終回を見た時に長太郎が親友のみのると別れる際に、うろ覚えなのだが、親友と別れる時に泣かない奴なんて男じゃねえ!と言って泣いていたのを覚えている。思い切り友の為に泣ける長太郎。でもまだ栗又さんの長太郎は泣くことを正当化できないけど思わず…といった感じの涙で、奥ゆかしい感じである(´∀`)


追記 第88話でも長太郎は涙を見せています。

<男!あばれはっちゃく名場面2>

第52話愛してみゆきちゃん(秘)作戦(オリジナル放送日昭和56年3月28日)

長太郎一家が博多に転勤することになり、(父ちゃんの勘違いで実は転勤は佐藤部長、邦彦たちであった)みゆきちゃんは長太郎にお別れのプレゼントを渡してくれる。


長(どうしたの?…そうか、やっぱりみゆきちゃん俺と別れるのがツラいんだな。)
み(目のなかにゴミが入っちゃったの…)
長(いいんだよ、いいんだよ、みゆきちゃん、言い訳なんかしなくても…)

悪いけど、家に連れていってくれない?目が見えないの…。


み(こんなところ誰かが見たらなんていうかしら…?)
長(へへ…みゆきちゃんの手ってあったかいんだね。)

そこに通りかかった邦彦が長太郎たちを目撃してしまう。


ま…負けた…!やっぱりそうだったのか…。


幸せ…まだみゆきちゃんの匂いがするみたい。


☆つぶやき☆
なんだか、誤解に誤解を重ねていく回で、思わず笑ってしまう。長太郎のよきライバル邦彦少年の最後の回。ま、負けた!という発言は、好きになる気持ちに勝ち負けはないけれど、邦彦少年らしい。長太郎は、無頼の、常識はずれの強さがあるけど、邦彦は、真面目で不器用な弱さがあって、親しみをもって身近に感じるヒールである。彼ら共に素直さは失わないのがあばれはっちゃくを風通しのいい作品にしている。みゆきちゃんが邦彦を見送りに行けなくて、みゆきちゃんのほんとの気持ちを吹き込んだテープを長太郎に託すが、聞くとなるほどである。邦彦少年がみゆきちゃんを好きなことで悩んで寺山先生のところに相談に行く。先生は(人が人を好きになることはこの世の中で一番素晴らしいことだ。だが、こっちが思うほど相手が好いてくれないこともある。しかし、そのことを憎んだり、恨んだりしてはいかん。)とおっしゃった。このようにさらっと人生のほろ苦さを教えてくれるなんぞ、一対一の親しさゆえか、やっぱりいい先生だな。。