<第32話伸びろ!タケノコ○秘作戦>

第32話 伸びろ!タケノコ○ヒ作戦
・山川ヨウコ(島村聖名子さん=小川菜摘さん)
・バロンフジヤマ(内田勝正さん)

第32話伸びろ!タケノコ○ヒ作戦は男!あばれはっちゃくシリーズ4BOX中、BOX2に納められています。BOX2は勢いをつけた快調な走りともいえる作品を見れます。栗又厚さん演じる長太郎もとても威勢がいいですね。

この作品に出てくる山川ヨウコは小川菜摘さんが演じています。最近はバラエティーなどでお見かけします。ブログやTwitterなどを拝見すると、精力的に毎日を充実させていらっしゃるのがわかります。元々は1978年に(ゆうひが丘の総理大臣)に生徒役で出演され、文学座の研究生に在籍したりと、芸歴が大変豊かな方なのだな、と失礼ながら気付きました。33年前のこの作品でも、自分の道を切り開こうとする学生ヨウコを好演されています。現在も大活躍されている方が思い入れがある作品に出ていたことを知るのは嬉しいですね。

カヨちゃんの高校時代の友人、ヨウコさんはファッションデザインの勉強の為に上京しており、学校の講師で来た世界的デザイナー、バロンフジヤマにデザイン画を見てもらおうとしますが、叶いません。夢を追う反面、カヨちゃんに五万円もの大金を借りてしまい、遊び(タケノコ族)に夢中になる刹那的な面もあります。ヨウコさんは長太郎に励まされ後押しされ、バロンにデザイン画を見てもらえる機会に恵まれますが、センスはあるが、今一つ心が籠っていないと評されます。自分の心が相手に伝わらなければいけないと。着る人の身になってデザインしなければいけない、細部にこそ魂が宿ると。そしてバロンが魂が宿るデザインとして見せたのが、ヨウコさんの兄が伊勢崎で織った銘仙だったのです。実はヨウコさんは自分にとって意義ある仕事をしたいと兄に銘仙の跡継ぎを断っていたのです。ヨウコさんはバロンに兄の仕事の素晴らしさを気付かされます。

長太郎との帰り道、ヨウコさんは(長太郎くんありがとう。私他にもっとやるべきことがあったのよ)と嬉しそうに言います。長太郎は寺山先生の書道の時間の指導(伸びる力、を題材にして成長しようとする力が大切だと)をうけますが、それをヨウコさんに言い、後押しするのです。ヨウコさんはファッションの勉強の中で本当にやりたいことを気付かされます。

後の、落合兼武さん、鍛冶昇さん制作両氏の(失敗だって歓迎です。自分の心に忠実に、その結果を振り返ってみることで、成功のもとが得られるからです。)言葉が、曲折があっても自分の道を探し出せたヨウコさんと重なります。


ヨウコさんを否定することなく、当時は理解しがたかったであろう、原宿に奇抜な格好をしてたむろするタケノコ族を掛けて、伸びろ!とエールを贈っていますね。

この作品を見ると、型にはまらずに、もっと飛んだり跳ねたりしてもいいんだよ、と温かいメッセージを感じます。

<第61話、ん?小さな恋人○秘作戦>

この話などは小さいか弱き子供の立場をよく描いています。
・立川ユカ(河野由香利さん)

・立川カヨ(茅島成美さん)
小さな女の子ユカちゃんと浄念寺で出会った長太郎。ユカちゃんのお母さんは昼も、夜はディスコの調理場で働いており、ユカちゃんはお母さんのカヨさんの幼なじみの仙海さんの世話になっている。仙海さんは親子に親身になるが、お寺に帰りたくないユカちゃんはお腹をすかせた長太郎をつれてお母さんの調理場へ繰り出してしまい、長太郎は大目玉をくらう。ユカちゃんの願いは与えられるお菓子やぬいぐるみとは違うようで…。

ユカちゃんの願いはお母さんの元にいたいということ。その願いはユカちゃんの為に一生懸命なお母さんには届きません。そんな寂しさを理解した長太郎は仙海さんとお母さんに向かって叫びます。

(おばさんはユカちゃんに何をしてやったんだよ!)
(バカなことをいうんじゃない、お母さんはね、昼も夜もユカちゃんの為に一生懸命働いてたんだ!)

(そんなこと関係ねえや!ユカちゃんは母ちゃんと一緒にいたいだけなんだ!夜くらい一緒にいてあげればいいじゃねえか!)

(だからそれは無理なことだと言っているじゃないか!)

現実的にユカちゃんを思った親たちの行動は精一杯な親心ですが、長太郎はユカちゃんの本当の気持ちを汲み取って、純粋に親たちにぶつけています。自分も無力な子供であるからこそ、子供側の意志を代弁した長太郎は子供たちにとって頼もしかったでしょうね。けれども仙海さんのユカちゃん親子に対する力添えや人助けの精神も決して無視できるものではなく、素晴らしく感じてしまいます。

<三人>


第78話お尻ペンペン○ヒ作戦
・古川ロッペイ(竹内実さん)

第84話あばれ家庭教師○ヒ作戦
・長谷川ヒロシ(熊井田学さん?)

第86話かつげ自転車○ヒ作戦
・山口コウジ(金城立也さん?)

はっちゃく写真集のコラムを読むと、荒木直也さんが三代目はっちゃくに決定した以前に、百人を超す候補者の中から三人ほどにしぼり、ゲストとして出演してもらい、可能性を試したことが書かれている。推測するとこの三人と思われる。そして三人ともはっちゃく役の条件をパスしたとある。因みに条件とは、あばれんぼうだがどこかにくめない人なつこさと愛嬌があること、学業と仕事を両立するファイトと体力があること、両親と学校の理解と協力があることがあげられている。大変な条件だ。

この三人ははっちゃく役の可能性があったが、残念ながらこれだ!と言える決め手がなかったようだ。だけれども、それは、彼らの持ち味とはっちゃくとは少し違っていたということで、作品の中ではそれぞれ印象を残し、光るものを持っていた子役さんであったと思う。

さて、この中で最初のロッペイ少年。ロッペイは父子家庭で仙海和尚に面倒をみてもらっていたが、ひょんなことから桜間一家に世話になる。長太郎たちと食卓を囲むロッペイ(他人の子を家に一時であれ迎えいれる桜間一家は懐深い)だが、叱る勢いで思わず長太郎を箸で叩く父ちゃんを見てロッペイは言う。(違うなあ、ここんち、俺のオヤジ頭叩いたりしないぜ)

そしてのちに三代目で栗又さんが滝竜次役で桜間一家と食卓を囲んだ際も、長太郎を箸で叩く父ちゃんに、竜次さんは(この家ではよく子供を叩くんですか?子供を叩くのはよくありません)と父ちゃんに諌めている。

叱りとはいえ叩くことを諌められてしまった父ちゃんを見ると、叩くという演出が父ちゃんらしさを出しているとはいえ、作り手側や東野さん自身ももしかしたら叩く、手をあげるということに、長太郎への愛情ゆえと分かってはいても、複雑な思いもあったのではないかと、ふと思ってしまう。

子供の頃、あばれはっちゃくといえば長太郎が激しくしかられている迫力あるシーンの印象が強くあった。丁々発止としたやりとりの親子の姿はインパクトがあって、父ちゃんの名セリフが有名になるとともに、演出には欠かせないシーンとなったのかな、と思うけれど、ロッペイや長太郎を卒業した栗又さんのこの発言を聴くと、そうした演出に対する作り手や演じる東野さんの相克みたいなものがあったのかな、と少し、思ってしまった。けど、そうした強い表現だからこそ、自分の記憶に残っていたのかな、とも思う。

<二代目はっちゃくが出会った人びと>


(第37話売るゾ焼き芋○ヒ作戦)

・焼き芋売りの神原のおばさん(船場牡丹さん)

1人で岩手から出稼ぎに来た焼き芋売りのおばさん。浄念寺に置かせてもらっていたおばさんの屋台を長太郎が勝手にひいて、生焼けの焼き芋を売ってしまい、父ちゃんに大目玉。その代わりに、長太郎の友達の弘子ちゃんがおばさんの実の娘に似ていたことから、弘子ちゃんに焼き芋売りを手伝ってもらう。弘子ちゃんに手伝ってもらっているおばさんのささやかな嬉しさと実の娘のように慈しんでいる表情が、家族と離れている寂しさの中だからこそ温かく感じられる。


出稼ぎという、心ぼそく不安定な中でも、娘に似た弘子ちゃんにプレゼントを買ったり優しさを失わないおばさん。おばさんの寂しさを長太郎が理解して、腰を痛めてしまったおばさんの元へ、実の娘を呼ぶ。弱い立場の者へ力添えする長太郎の行動力が、爽やかに、力強く感じられる。

この作品の脚本は市川靖さんという脚本家さんが書かれている。市川さんの作品を見てみると、大人の中で翻弄される弱く小さき子供の立場、弱い者への視線、不安定な状況でも懸命に生きる人々を描く作品が多い気がする。

好きな第9話では、見栄や虚栄心から嘘をついて学校に行けなくなった邦彦をさりげなく長太郎たちが救ってやる話で、救いを感じたし、何回か家庭の都合で転校の不安に苛まれる章の支えになる話も市川さんが書かれていた。

柿の葉日記の柿の葉さんのブログを読ませていただき、あばれはっちゃくの脚本家さんについて書いておられ、とても興味深く拝見した。そこでは市川さんは、ピンク映画、産業映画、テレビの構成台本をやりたがらなかった方だったということを知った。それを踏まえ男!シリーズの市川さんの作品をみると、芯がぶれないというか、信念をもって作品を書いていたのだなと思う。そして、もうお亡くなりになっていたことを知って、尚更、殺伐とした世の中を見渡して寂しく感じる。

<二代目はっちゃくが出会った人々>

はっちゃくは誰に対しても、例え目上の人物でも臆しない。分け隔てなく困った人や問題解決に邁進するのだ。


そんな長太郎が出会った人たちを書き留めていきたい。
(第47話、あばれラーメン○秘作戦の浜田一家)

・浜田主人(平沢公太郎さん)
・浜田ユウジ(宮崎新吾さん)
・浜田ユウコ(平田京子さん)

<作品メモ>
長太郎の上級生、浜田ユウジの一家。ラーメン屋台を営む父子家庭で、しかも姉がもうじきお嫁にいってしまうので何もかもユウジは頼らないで父を支えねばならないが、一歩踏み出せず思い悩んでいる様子。これを見た長太郎はユウジに強さと意気地を持つように奮闘する。ラーメン屋台の実直な商いと支えあって暮らす家族が短いながらよく描かれている。

浜田主人役平沢公太郎さんは第26話でも出演されており、その時も、ラーメン屋台のおじさんだった。野崎医師が五百万円の風呂敷を預けていたのがこの人だった。

屋台が微妙に違うので同一人物ではないかも知れないが、この2つの話はこの他にも長太郎の衣装が同じだったり、セリフに共通性を持たせたりしている。

第26話では長太郎が寺山先生に(どうした長太郎、ナメクジが塩かぶったような顔して)と言われたが、第47話では長太郎がユウジに(このナメクジ野郎!)と叱咤している。


改めてあばれラーメン○ヒ作戦をみると、倅が勝手に屋台を引いてしまったことに土下座して謝っていた父ちゃんが印象に残った。人様に迷惑をかけてはいけない、こんな基本的なことだけれども今では誰も身をもって教えまい。

<健気>
最近、やなせたかしさんの、ヒーローは強いからヒーローなのではなく、喜ばせるからヒーローなのだ、という言葉を知る。はっちゃくも、見た後で、良い気持ちになったり、見た人の心がいい方向に向かえる番組であり、長い間支持された。そこで主役が生身の等身大の小学生、というのがやはり特徴というか魅力だった。視聴者は長太郎の活躍に溜飲をさげ、人気がでるほど、期待は募り、代替わりをまたいで続いていく。ある意味、期待のリレーをしていたといえる。視聴者はいつも、元気をくれる、元気なあばれ回るはっちゃくを求めた。見る者の期待というものに歴代はっちゃくは耐えた。期待され続けるというのは、人間大人でも一番辛いものだと思う。それを背負いつつも、子役とはいえ俳優の仕事もシビアな現場の仕事。監督にとっては主役といえど、脇役端役と等価な作品の画面を構成するパーツに過ぎず、他との調和も求められる。そこには、主役の奢りが入り込む隙間はないのかもしれない。そして、子どもでありながら謙虚さをもちながらも、堂々とした態度であり続けるというか、平衡感覚をもっていたのではないかとさえ思ってしまう。二代目に限定してしまったが、はっちゃくを見てきて、二代目の長太郎は勿論好きなのだが、そこに、長い期間、演じてくれた栗又さんの、健気さを汲み取って大切に見てしまう。はっちゃくに健気さを感じるとは番組の本意ではないかもしれないが。撮影の洪水の中で、指示された決められた演技、動きをきちんとこなしていった、と思うとやはりそんなことを思ってしまう。今回、二本のスペシャルを見ることが出来、スペシャルのみのオープニングまで作られてあり、改めて、この頃の仕事の量と、視聴者を喜ばせ続けた栗又さん吉田さんを始め制作に関わった方の心意気をまず感じたことだった。



<川>

市を南北に流れる川ぞいをよく歩く。

春という季節も相まって、穏やかに、サギやカモを集め、襞細やかに、心地よい音をたてながら流れていく。

淀みない流れに、気持ちもサラサラそうあれたらよいなどと、心を寄せている。
今は川は、遠くに見て思うもの、になってしまったが、水面に近い釣りびとなどを見ると、彼らにとっては川は入りて思うもの、なのかもしれない。

小さい頃は腰まで浸かって遊んだり、もっと小さい頃に頭から川に落ち、流されまいと、川藻を掴んではちぎれ、掴んではちぎれした怖い思いと、そのあとの水を吸った衣服の重さを何と無く覚えている。

川は身近にありながらも、託す思いも様々、ひとそれぞれだろう。

手綱をとって自家薬籠中、恵みをそこから得る恵みの川。

はたまた、希望、やるせない思い、失望を包みこんでくれる懐深い川。

川との関わりは、こちらの年功、心模様によって変わるだろうが、決して縁が途切れはしないのだろう。