<健気>
最近、やなせたかしさんの、ヒーローは強いからヒーローなのではなく、喜ばせるからヒーローなのだ、という言葉を知る。はっちゃくも、見た後で、良い気持ちになったり、見た人の心がいい方向に向かえる番組であり、長い間支持された。そこで主役が生身の等身大の小学生、というのがやはり特徴というか魅力だった。視聴者は長太郎の活躍に溜飲をさげ、人気がでるほど、期待は募り、代替わりをまたいで続いていく。ある意味、期待のリレーをしていたといえる。視聴者はいつも、元気をくれる、元気なあばれ回るはっちゃくを求めた。見る者の期待というものに歴代はっちゃくは耐えた。期待され続けるというのは、人間大人でも一番辛いものだと思う。それを背負いつつも、子役とはいえ俳優の仕事もシビアな現場の仕事。監督にとっては主役といえど、脇役端役と等価な作品の画面を構成するパーツに過ぎず、他との調和も求められる。そこには、主役の奢りが入り込む隙間はないのかもしれない。そして、子どもでありながら謙虚さをもちながらも、堂々とした態度であり続けるというか、平衡感覚をもっていたのではないかとさえ思ってしまう。二代目に限定してしまったが、はっちゃくを見てきて、二代目の長太郎は勿論好きなのだが、そこに、長い期間、演じてくれた栗又さんの、健気さを汲み取って大切に見てしまう。はっちゃくに健気さを感じるとは番組の本意ではないかもしれないが。撮影の洪水の中で、指示された決められた演技、動きをきちんとこなしていった、と思うとやはりそんなことを思ってしまう。今回、二本のスペシャルを見ることが出来、スペシャルのみのオープニングまで作られてあり、改めて、この頃の仕事の量と、視聴者を喜ばせ続けた栗又さん吉田さんを始め制作に関わった方の心意気をまず感じたことだった。