今は、放送作品や映画一般は、制作段階から商品としてパッケージングされることを前提で作られているのかな、と思います。ですから、昭和五十年代ぐらいまでの放送は再放送はあったでしょうが、そのとき一回きりの、流れていく宿命であることが当然であることが、今と状況が少し異なるのかな、と思います。それだけに当時は、一回の放送に力を傾注なさっていたのかな、と、制作に関わった方々の真摯な姿を思います。写真集のあばれはっちゃくプロデューサーの鍛治昇さんと落合兼武さんのお言葉を読ませていただいて、よりその様に感じます。原作の児童文学者の山中恒さんの子どもへの願いを深く理解し、敬いながらも放送として皆を惹き付ける面白い作品を作ろうとしていたのだな、と感じます。そのなかで、子どもたちに(別にこの番組から深刻な教訓を取り出してくれなくてもいいと思いますが、おもしろい、楽しいと笑っていただいたなかで、ふと心の中に感動するものがあったらそれは何なのか、と考えてくださればうれしいのです)、と語っておられました。テレビ放送といういわば儚い中で、娯楽ながらも子どもたちに心の糧となるような作品を見せたいというお気持ちを感じました。当時の大人からの子どもへのメッセージという側面もあるのですね。あばれはっちゃくが長い時の後、また世にでることになり、今の子どもたちや私などの大人にまた何か投げかけてくれるのでは、と思います。